子どもの頃、〝じゃあ、また・・・〟といえば、〝じゃあ、またあした遊ぼうね〟といったごく至近な将来に向けて使うことが殆どでした。それが、年齢を重ねる毎にその『また』の間隔がどんどん広がってきたような気がします。小学生から中学生、高校、大学そして社会人と、付き合いの範囲が広がるにつれ、『あした』が『来週』になり、『来月』、『来年』、そのうちには『近々』とか『いつか』というように、その間隔を表現することば自体が不明瞭なものに変わっていくと同時に、『会おう』などという約束ことばも段々曖昧になり、仕舞には〝またいつの日か会えるといいなぁ・・・〟というような限りなく願望に近いニュアンスになってしまうのはとても寂しいことです。それも、無二の親友と信じ今でもそう思っているはずの相手と久しぶりにバッタリ出会ったなどという時でさえ、別れ際にはついつい〝じゃあ、またな〟といとも呆気ない、言ってみれば何の約束にもならないような挨拶で終わってしまうことが、特に我々男性の場合多いようです。そして、そんな別れ方をしてしまったあと決まって、〝もっときちんとした約束をしておけば良かった〟と後悔し、しばらくは惜別の念に苛まれたりするものです。加えて、私たちのような年代に差しかかると、そういう別れ方をしてしまった大切な人に関する次の情報が、ある日突然『訃報』なんぞというとんでもない不幸な形になって飛び込んでくることさえあるのです。もちろん自分では『まだまだそんな境地には程遠い』と自負して疑いませんが、せめてこれからの人生、その時々の『出会い』というものをもっと大切にしていかなければならないなぁと、ふと柄にもなく考えさせられる近頃ではあります。
代表取締役社長 塩 谷 雄 一