塩谷の過去・現在・未来 〜これからの塩谷に期待すること〜

塩谷建設は来年9月で創業60周年を迎えます。佳節を前に、長年当社を支えてきた
ベテラン社員と次代を担うリーダーが、これまでの歩みを振り返るとともに、
一層の飛躍に向け、それぞれの思いを語りました。

座談会出席者(左から)
塩谷 洋平(専務取締役)
石崎 義和(常勤監査役)
尾﨑 輝雄(土木部技師長)
大角 井査雄(相談役)

社長以下、社員総出で工事。
スポーツや社内行事で親睦深める。

塩谷昭和29年9月の創業から60年が経とうとしています。この間、事業環境も会社も大きく変わったと思うのですが、皆さんが入社されたきっかけや当時の会社の様子を聞かせてください。

大角私は昭和43年に入社しました。当時は50名ほどの社員が働いていたでしょうか。社屋は木造平屋建てで、解体した高岡駅駅舎の建材を再利用した建物でした。ずっと営業畑を歩いてきたんですが、入社当初は上司の車のドライバーを務める機会も多く、ぴかぴかのクラウンを運転できるのが楽しかったですね。

尾﨑私も昭和43年の入社です。会社のそばには寮があって、佐渡や青森から出稼ぎに来た職人が寝泊まりしていたことが記憶に残っています。早出、残業は当たり前で、朝6時から夕方6時まで働いてましたね。

石崎私は昭和46年に入社しました。きっかけは、自前の道場で柔道大会を開いているという新聞記事を読んだことでした。当時、地方でスポーツに力を入れている会社は珍しかったので、ここならば楽しく働けると思いましたね。

大角スポーツを取り入れて、人間関係やコミュニケーションを円滑にしようというのが、創業社長の考えでした。ちなみに柔道場の名前は「正気館」と言います。これは当時の堀健治高岡市長が命名した名前で、「正気」とは「天地人の間に存在する正しく大きな根本の力のこと」を指します。これはまさしく我々の求めるものだということで、その後、寮や橋、レストランの名前にも「正気」を取り入れました。

石崎柔道以外では、私の入社後、大角さんが中心になって県内の建設業者による野球大会を立ち上げ、当社は2回優勝しましたし、バレーボール部やテニス部もありました。

塩谷確かにスポーツへの取り組みは熱心で、柔道部は今でも活動しています。皆さんが入社した昭和40年代と言えば、まさに日本が高度経済成長に沸き返っていた時代です。随分と忙しかったのではないですか。

大角そうです。だんだんと仕事が増え、昭和45年に金沢営業所、47年に富山支店、50年に砺波営業所と相次いで拠点を開設し、営業体制を強化しました。思い出に残っているのは、47年に竣工した末広センタービルです。当社で初めて施工した10階建てのビルでした。ビルの計画情報を入手してからは、関係する色々な方に頻繁に営業し、時には高岡の飲食店終了後、金沢まで行って朝5時まで飲み明かしたり、随分泥臭い営業をしてましたよ(笑)。このビルが建つのは繁華街ですから、工事をすると騒音が出たり、日照を遮ったりと近隣の飲み屋さんに迷惑がかかります。そこで創業社長から「毎晩そこに飲みに行け」と号令がかかって、店の人と良好な人間関係を維持するために、社員みんなで夜な夜な繰り出したものです。

尾﨑そうです。それ以外にも、当時は御旅屋通りでたくさん仕事をしていて、夕方5時頃になると、どこそこで足場をばらすから残業するようにと会社に連絡が入り、全社員が協力して夜のうちに足場を撤去して、引き上げるなんてこともありました。とにかく一つの目標に向かって、みんなが集中するといった感じでした。

石崎私は経理の担当ですが、事務作業は夜でもできると先輩から教えられ、天気のいい日はしょっちゅう現場に駆り出されました。

塩谷工期を守るため、社員みんなの力を結集して仕事をする会社だったということでしょうね。そういった機動力が受け継がれ、今でもお客様から評価されていると感じます。

尾﨑昭和40年代後半は忙しく、とにかく人手が足りませんでした。48年に竣工した金沢医科大学の建設工事では、私自身、鉄骨を立てるのに、とび職の職人を手伝ったこともあります。仕事が増えて売り上げと利益が増えると、知名度もアップし、高岡市内の仕事がどんどん受注できるようになりました。

大角忙しい中でも、運動会や花火大会、クリスマスパーティーなど、家族みんなで楽しめるイベントもよく企画しました。

塩谷よく覚えていますよ。私も子どもの頃に参加しました。最近はそうした行事にはあまり取り組んでいませんでしたが、今年はバーベキュー大会を復活させました。こうした機会を通して、社員やその家族の親睦を深め、チームワークを一層高めていきたいですね。

業界に先駆けて経営を近代化。
地域に必要とされることを仕事に。

石崎当社の経営が危ないというデマが乱れ飛んだこともありました。昭和55年が一番ひどくて、48年と53年にも同様のことがありました。もちろん、まったくの事実無根で、経営状態も健全でした。とはいえ、デマを信じた取引業者からは現金決済でしか受け付けないと言われたり、材料を売ってもらえないこともありました。創業社長が銀行を回って、問い合わせがあれば、当社の実績を伝えてもらうよう申し入れていたことを覚えています。

大角売り上げにも悪影響が出ました。そんな中でも創業社長が、高岡古城ライオンズクラブの会長や高岡商工会議所の副会頭などの公職に就くようになると、大きな信頼を得られるようになって、民間からの特命工事が増えるなど、業績を改善していくことができました。

尾﨑57年には初めて経営5カ年計画が策定され、計画づくりには私たち中堅社員も参画しました。同規模の建設企業では先進的な取り組みとしてマスコミにも取り上げられました。
この頃から社員の意識も、目先のことや自分の仕事のことだけを考えるのではなく、長期スパンで会社全体のことを考えるように変わってきたと思います。ほかにも、“どんぶり勘定”に陥りやすい業界にあって、現場ごとに独立採算制を取り入れるなど、経営の近代化が進みました。

塩谷近年では見通しが読みにくく、環境が変化するスピードも早いですから経営計画は3カ年ごとに策定しているのですが、こうしてあらためて歴史を振り返ると、先輩方の仕事の積み重ねのおかげで今日があるということがよく分かります。

石崎創業30周年を迎えた昭和59年には本社社屋を新築しました。創業社長は利益を生み出すところから環境を良くしたいということで、地元や新潟、長野の宿舎を順番に建て替えて、本社は最後でした。何より現場で働く人のことを第一に考えてくれましたね。

尾﨑私たちの入社から40数年が経ち、会社は発展し、優秀な技術者もたくさん育ちました。高岡市やその周辺で大きな仕事をたくさん手がけられたのは私たちの誇りです。ただ、時代やニーズが変わるので、会社も変わらないといけないし、どんどん新しいことに挑戦すべきだと思います。

塩谷その通りです。そもそも私たち建設会社は道路や橋梁など、必要とされる都市基盤を作ってきました。ただ、求められるものは時代とともに変化します。ですから、これからも地域に必要とされるものは何なのかをしっかり考えた上で、建設会社としてできることをやっていきたいと思います。例えば、高岡駅南に3棟目の建築が進む分譲マンション事業もその一つです。富山は一戸建て志向の強い土地柄ですが、少子高齢化に伴ってまちづくりや住まい方が見直されるならば、まちなかにもマンションが必要となるでしょう。現にマンションに住みたいという需要は増えていますし、地元企業が手がける分譲マンションは何かと安心と喜ばれています。これからも、新たな住まいの選択肢として提案したいですし、立地条件のいい場所があれば、4棟目も建設したいと考えています。

大角緑化事業も新たな取り組みの一つでしょう。

塩谷はい。コケを使った緑化事業は、深刻化する環境問題に対し、建設会社として何ができるだろうかと考えた結果の一つです。私たちの仕事は緑のある場所を掘削するところから始まるわけで、そこに緑を戻していくにはどうしたらいいかと考え、辿り着いたのが緑化事業でした。正直、利益を出すのは難しいですが、この仕事は我々の使命であり、率先してやるべき仕事だと思っています。今年東京営業所ができましたから、将来的には富山の耕作放棄地で栽培したコケを県内だけでなく、首都圏で販売するサイクルを作り上げたいですね。

石崎コンクリート構造物の補修・補強工事に効果的なウォータージェット工法にも引き合いが増えてきました。

塩谷ええ。高度経済成長期に作られたインフラは老朽化が進んでいて、それらの維持管理・予防保全工事は急務と言われています。当社では、ウォータージェット工法など先端技術の設備や技術者がそろっているので、そうしたニーズにもどんどん応えていきたいと考えています。では、最後にこれからの塩谷建設に対して、アドバイスをお願いします。

大角ものづくりにはみんなの協力が欠かせません。これからもチームワークよく仕事に励んでほしいと思います。それと、昔から塩谷建設の社員は礼儀正しいとよくほめられました。礼儀は人間関係の第一歩ですから、これからも大切にしてほしいですね。

尾﨑創業社長からはよく、最初の受注は営業マンの力、二回目以降の受注は現場の力と言われました。やはりお客様に喜ばれるものを作るのが一番で、それが会社の信用につながります。現場の社員は特にそのことを強く意識してほしいと思います。

石崎私が入社した頃はそろばんを使ってました。その後、電卓が登場し、現在は各自がパソコンを持つ時代になりました。この間、売り上げは伸びましたが、仕事のスピードは少し落ちているような気がします。また、会社が大きくなった分、組織が縦割りになって、その弊害もあるように思います。新事業にチャレンジするときは、会社全体で盛り上げていくような機運、雰囲気を醸成してほしいですね。

塩谷ありがとうございます。先輩方の期待を裏切らないよう、まじめにコツコツと頑張っていきたいと思います。

大角付け加えて言うなら、来年9月で当社は創業60周年を迎えますが、80年、100年と会社が持続的に発展できるように全社を挙げて一層頑張ってほしいと思います。

尾﨑いつまでも社会に貢献できて、誰もが働きやすい元気な会社にしてほしいです。「塩谷建設で働いている」と人に話した時、「いい会社に行っとるね」と言われるような会社になると理想的です。

石崎仕事を辞め、OBになったとき、地元で大きい顔ができるのは会社が元気だからです。いつまでも元気であってほしいし、転んだとしても、ただでは起きないような会社になってほしいと思います。

塩谷爆発的に業績を伸ばすことは難しいかもしれませんが、少しずつでもいいので、今日より明日、明日よりあさっての方がよくなるような会社、そして社員が夢を見られて前向きに働ける会社にしていきたいと思います。これからもぜひご指導ください。

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